高校生の頃に芥川龍之介の「羅生門」を国語の教科書で習いました。
その羅生門跡に向かって、朱雀大路跡を自転車で走ってみました。
朱雀大路とは、大内裏の南側の門である朱雀門から羅生門まで真っ直ぐに伸びる、平安京のメインストリートです。現在の道で言うと、千本通りに当たる場所にあったそうです。長さ約3.7キロ、幅約74メートルとか85メートルだったとか言われているそうです。現在、一番広い御池通りでも幅50メートル。74〜85メートルは広すぎだと思うなあ。渡り辛そう。ちなみに現在の千本通りは三条以北は片側2車線ですが、それ以南はかなり狭い感じがします。
では、ここ↑朱雀門跡からスタートして、南に行きます。
ここら辺は、片側2車線です。
JR二条駅前です。広くて堂々とした道です。
ここは、千本三条の交差点です。京都中央信用金庫を挟んで、右側の細い道が千本通りです。
左側の道は後院通りと呼ばれています。後院通りの先には阪急四条大宮駅があるので、現在ではそちらの方がメインストリートになっていて、市バスもたくさん走っています。
では右側の千本通りを進んで行きましょう。
少し進むと、「朱雀大路」という名前のホテルがありました。そうそう!ここは、いにしえの朱雀大路なんですよね。では、ここが朱雀大路であると自信を持って、ドンドン南に進みます。
生活しやすそうな雰囲気の京都らしい通りを進みます。
千本四条の交差点です。
少し下がると、壬生寺の裏に出ました。
ちなみに、壬生寺の正面はこんな感じです。お地蔵さんの塔が迫力です。
少し下がると中堂寺公園に出ました。ここからまた、千本通りは少し広くなります。
千本五条です。高架はJR山陰本線です。明治期に鉄道は市街から少し離れたところに敷かれたそうです。ということは、当時、往年の朱雀大路の姿は無く、郊外だったのでしょう。現在では市街化されており、すぐ近くに京都市中央卸売市場第1市場があり、賑わっているところです。
高架の横をドンドン南に進みます。
しばらく行くと、島原角屋の裏が見えて来ました。風情がある塀ですね。
千本七条までやってきました。
梅小路公園の入り口が見えます。この公園で千本通りは中断しています。仕方ないので、公園の西側の道を南に進みます。
JR貨物京都貨物駅というところに突き当りました。
これまた仕方ないので、高架下を潜って、高架の西側の道を進みます。
ああ、なんだかこの道↑西に西にとカーブしてる。もう全然、千本通りと違うところを進んでいます。左側の植栽の向こうはJRの線路です。線路の北側に沿って、西に西にと向かっているのです。なんとかして線路をも一度潜って、線路の南側に沿って、東に向かわなくてはなりませぬ。
と言うてるうちに、高架下のトンネル発見。ここを潜れば、南側に戻れます。発見と言いましたが、実は、ここ良く知ってます。うちのナビ子の超おススメのトンネルなんです。南北の移動中に、素直に西大路通りで線路を潜れば良いものを(大きな道なので線路の高架も高く、スンナリ下を潜れるから)、何故かナビ子はいつもこのトンネルをイチオシしてきます。ここね、高さ制限240ですわ。私の自動車が237センチの高さです。ちょっと跳ねたらぶつかりますやん。怖くて通れへんの。
今日は自転車なので、初めてここを通ることができました。真っ昼間なのに薄暗いです。なかなかの迫力ですね。自転車で通っても頭打ちそう。
トンネルから出てきて振り返ったところです。貨物と新幹線が走っています。
さてさて、この高架に沿って、東に進んで朱雀大路跡に戻りましょう。
途中に興味深いお寺発見。
ほれほれ、お庭に線路が敷いてあるよ。
はい、大体、朱雀大路跡に戻ってきました。ここで右に曲がると南向きになり、羅生門跡はもう少しです。
先程、大体、朱雀大路跡と言いましたが、何故大体かと言うと、この道と、も一つ東側の道の丁度真ん中ぐらいが朱雀大路跡なのです。今は家が立て込んでいて通れません。
ではでは、ずんずん進んで行くと、九条通りに着きまして…
羅生門跡です。
今は公園になっています。
あー、長い道のりでした。往復で15キロは自転車で走ったな。脚パンパンです。
京都駅前に、羅生門十分の一復元模型があります。ここに、こんなのが建っていたのですね。
ついでに、直ぐ近くの西寺跡に寄りました。
平安京では朱雀大路を真ん中に、線対称の位置に同じ役割の施設を建てていました。例えば、東の市場と西の市場とか。無駄やと思うわ。だって直ぐ近くなんやもん。1キロちょっとしか離れてない。もちょっと離れたとこに作った方が、郊外の市民の移動が少なくなって便利だと思います。で、西寺の線対称のお寺とは東寺ですな。今でも、東寺は存在していますが、西寺は廃れてありません。今では、西寺跡は公園になっています。小高い丘の上に建物の基礎が残っています。