先日(2019/5/26)、法事にて、山口県を訪れました。
山頭火って山口県出身なんですね。あっけらかんとした淋しい句だなあと常々思っていましたが、子供の頃母親を亡くした影響とのこと。淋しい子供時代を過ごしたのだろうと思うと胸が痛みます。
駅前に蒸気機関車の動輪が置いてありました。昭和50年に引退。
古臭いお見苦しい写真で申し訳ありません。これは国鉄時代のスタンプ帳です。昭和48年8月の家族旅行の出発の朝、父がキオスクで買ってくれたものです。「駅にはスタンプというハンコがある。それを集めよう。」という父の提案でした。では、開いてみましょう。
昭和48年8月8日、幼い頃の私の記録を見ると、『おおみしまからはぎにいくときに「えすえる」にのりました。』と書いてあります。やけくそなほど、全部ひらがなで書いてありますな。せめて、えすえるはカタカナで書いて欲しかった(笑)しかもおおみしまでは無くて、おうみしまが正解ですな(笑)
こちらには「えすえるがとまったときおしたすたんぷ」と記録しています。
この記録によると、仙崎~長門~長門三隅~萩と移動したようです。山陰本線ですね。どこの駅からエスエルに乗ったか覚えていないのですが、ホームで列車を待っていると大きな音をたてて蒸気機関車が入ってきたことは鮮明に覚えています。長門三隅で長く停車したので「スタンプを押しに行こう」と言う父に急かされて、隣のホームまで走ったような記憶がうっすらあります。
この区間を走っていた蒸気機関車はD51とC58とのこと。もしかしたら、この時に乗った蒸気機関車の動輪が新山口の駅前に保存されているものかもしれないと思うとワクワクしてきました。
そしてふっと、こんな子供時代の親との楽しかった記憶が山頭火にはあったのだろうかと思うと胸がぎゅっと締め付けられました。いいえ、もちろん山頭火にもお母さんとの楽しい時間はたくさんあったでしょう。幸せだった程、楽しかった記憶が苦しいものになってしまう、それが愛する人の死というものかもしれません。
捨てきれない荷物のおもさまへうしろ
うどん供えてわたくしもいただきまする
(種田山頭火の句です。)
さて、では法事に行ってきます。愛されていたことに感謝して、しっかり祈ってきます。